自分は欧風菓子クドウ本店で修行させて頂いた。日本橋の高島屋や東京の青山、神奈川県にも複数の支店を持ち、地元でも超有名なお菓子屋でした。創業者で師匠である宮東悠氏の元で勉強させて頂き、色々可愛がっていただきました。クドウを辞めるときも沢山のお菓子道具やケーキ皿を頂き、今でもベルジュールで大切に使っています。(高島屋で使ってたパイシーターも持ってけと言われ、愛知まで運ぶの大変なのでやめますと言った事、今でも後悔しています・・・。)
現在は息子さん(宮東さん)が社長として頑張っておられ、当時フランスから帰国した後で、自分が退職するまでの2年程一緒に勉強させて頂きました。
修行1年目は、レーズン(1箱13.6kg)を一人で一日15箱煮込むのが大変だった。機械化じゃなく50℃超える部屋の大鍋で手作りで煮込むのだ!もちろん他の仕事しながら同時進行で!繁忙期はレーズンクッキーだけで一日7,000個作ってた。全て手作り!それも工場の人数は6~7人程!朝5時から工場入って、昼ごはんは夕方4時とか・・・うーむ懐かしい(*´Д`)
当時は20代前半。別に「これが普通」だと思っていたし、毎日が楽しかった!夜9時頃に仕事が終わっても、そこから遊びに行ったりもした、翌朝5時出勤なのにね!他の店で働いている友人も皆こんな感じで忙しかったと思う。ってかパティシエの世界ってのはこんなもんなのよ!今も昔も、これからも!!!!
パティシエの世界は残業代が出ないとか、タイムカード通してから仕事させられたりとか、保険や年金が無いとか、失敗したケーキ買わされたとか、いじめがあるとか、男だろうが女だろうが暴力振るわれたとか(これ結構ある!)、そんなケーキ屋が多かった時代だったけど(今でも少なからずあるけどね)クドウはそういうコトは一切なかった。お店の女の子やパートのおばちゃん達とも皆仲良かったしね。宮東さんにもご飯奢ってもらったり、一緒に相模湖や河口湖にバス釣り行ったりしてた。
その宮東さんが3月15日、息子達と一緒にベルジュールへ遊びに来てくれました。
ちなみに自分の妻は、自分がクドウに入る前から日本橋の高島屋店で販売をしており、その当時から宮東さんとは知り合いの仲。なので久しぶりに会うのを夫婦そろって楽しみしておりました。すると「相模ナンバー」の車が店前を通り過ぎるのを確認!「来た!」って事で、店から出てお迎えに上がりました!
10年以上前に青山で行われた、クドウの創立記念パーティー以来の再開ですが、変わらず元気でなによりでした!今現在のクドウの事や、当時一緒に働いてた皆の事。懐かしい話から辛い話、ベルジュールの事やもちろんお菓子の事まで、数時間でしたが有意義な時間を過ごさせて頂きました。
お土産のクドウのお菓子!さすがカミさん!速攻で「袋のデザイン変わった!」と気づく。自分はわからなかった・・・。
クドウの名物「レーズンクッキー」と「ミレー」を頂きました!相変わらず美味しいよね!マジで!
今度クドウに遊びに行った時は、レーズンシロップ頂きに参ります(‘◇’)ゞ
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